概要
      Top



チベットの歴史は、周の時代に羌(きょう)と呼ばれていた時代にさかのぼるという。ソンツェン・ガンポ(?~649年)は首都をラサに制定、唐と同盟を結んでいる。ティソン・デツェン(742~797年)の時代に南詔と結び、唐の長安で戦い、レルパチェン(806~841年)の時代822-23年には和平を結んでいる。ティソン・デツェンはパドマサンバヴァー(グル・リンポチェという敬称を持つ)によって初の僧院サムイェー寺を建立、仏教を国教化。

神話時代のチベットは、「王統明示鏡」に描かれており、最古の仏教史書は「学者デウの仏教史」という。

841年のランダルマの統治を境に、それまでのチベット仏教を前伝期、古訳、ニンマ派、その後の教えを後伝期、新訳、サルマ派と呼び習わすという。

仏教を弾圧したとされる、悪名高いランダルマ王は、暗殺され、その子孫ウースンは西チベットに逃れ、キーデニマグン王はグゲ王国を建設したという。グゲ王国のララマ・イェシェーウー王は、インドからアティーシャを招聘するよう遺言し、アティーシャはチベットへ渡り、チャンチュプウー王のもと、リンチェンサンポと会見し、菩提道灯論を著したという。アティーシャの教えはドムトゥンに引き継がれ、カダム派として確立した。カダム派は、現在のゲルク派に引き継がれているという。

現在のダライ・ラマ制度の設立は、ツォンカパによるゲルク派の設立にさかのぼるという。ソナム・ギャンツォはダライ・ラマ3世としてアルタ・カンによって認定されたのが歴史的経緯という。政治的混乱の後、ダライ・ラマ5世は1622年即位、ポタラ宮に住み、チベットを再興させ、パンチェン・ラマ制度を設立。その後、モンゴルと清の支配を受けた後、ダライ・ラマ13世の時代に1913年にチベットは独立する。現在のダライ・ラマ14世は、1940年に即位している。

日本とチベットに仏教が導入された際、共に中期密教の「金光明経」が伝来したという。

アティーシャは「菩提道灯論(ラムリム)」を書き、密教と顕教を統合した教えは、ゲルク派のツォンカパに引き継がれているという。

ツォンカパ(1357-1419)は、プトゥンの教えを引き継ぎ、ニンマ派、シャル派、カギュー派、カルマ派、カダム派の教義を学び、戒律の厳しいゲルク派(徳行派)の祖である。ゲルク派とは、リヴォ・ガンデンペー・ルクあるいはリヴォ・ゲデンペー・ルクの略で、ガンデン寺を総本山とする。ガンデンとは、弥勒菩薩のいる兜卒天のことを指すという。

プトゥン(1290-1360)は「仏教史」「十万タントラ目録」「論書目録」などを書き、ニンマ派、カギュー派、サキャ派を学び、シャル寺でシャル派を打ち立てたという。

ブータンでは、ドクミに師事したマルパ(1012-1097)-ミラレパ(1040-1123)-ガムポパ(1079-1153)の流れを汲むカギュー派の一派パクモドゥ派の分派、ドゥク派が盛んという。チベット史上最大の詩人と言われるミラレパは、イラクサを食べたといい、体色が緑で描かれる。クンブム(十万詩)を書き、後のチベット仏教に大きく影響したという。

ガンデン寺のティパは、ギュメ寺のジャンツェ・チュージュと、ギュトゥ寺のシャルツェ・チュージュから選ばれるという。

カギュー派の最高活仏、カルマパ17世は、2000年1月、ダラムサラへ亡命を果たしている。