概要
ギリシア語は印欧語族に属する言語であり、古代より欧州文化の基盤を形成してきた古典語のひとつです。その語彙は、ラテン語と並んで多くの欧州諸語に流入しており、現代においても新語の創出に頻繁に用いられています。
ギリシア語起源の英語
democracy -- δημοκρατία: δῆμος(人民)+ κράτος(力・支配) → 「人民による支配」、民主主義
philosophy -- φιλοσοφία: φίλος(愛する)+ σοφία(知恵) → 「知恵を愛すること」、哲学
theatre -- θέατρον: θέα(見ること、観覧)+ -τρον(場所) → 「見るための場所」、劇場
ギリシア語起源の近代語
biology -- βιολογία: βίος(生命)+ -λογία(学問・論) → 「生命についての学問」、生物学
psychology -- ψυχολογία: ψυχή(魂・心)+ -λογία(学問・論) → 「心についての学問」、心理学
television -- τηλεόραση: τῆλε(遠く)+ ὄρασις(見ること) → 「遠くを見ること」、テレビ
cardiology -- καρδιολογία: καρδία(心臓)+ -λογία(学問・論) → 「心臓についての学問」、心臓学
neurology -- νευρολογία: νεῦρον(神経)+ -λογία(学問・論) → 「神経についての学問」、神経学
上記の英単語の起源となったギリシア語は現代ギリシア語ではなく、古典ギリシア語です。古典ギリシア語は、近代以降「カサレヴサ(καθαρεύουσα, Katharevousa)」と呼ばれる文語体として継承され、国家機関や教育現場で使用されてきました。しかし、日常的に話される口語「ディモティキ(δημοτική, Dimotiki)」との乖離が次第に問題視され、1974年の民政化を契機に、ディモティキが正式な公用語として採用されました。
καθαρεύουσα(カサレヴサ)
οικοδομή(建築) → 古典的な「建築物」を指す文語的表現
ιατρός(医者) → 古典語形。「iatric」「psychiatrist」など英語の医学用語に直結
οδός(道路) → 「odometer」「method」などに直結する古典語形
δημοτική(ディモティキ)
κτίριο(建物) → 日常的に使われる「建物」
γιατρός(医者) → 口語化された発音。
δρόμος(道路) → 日常語。
この言語政策の一環として、ギリシア政府は現代ギリシア語の正書法を統一し、従来複数存在していたアクセント記号を単一のトノス(´)に簡略化するという大胆な改革を断行しました。これは、言語の標準化を通じて教育と行政の効率化を図ると同時に、国家のアイデンティティを再構築する試みでもありました。
旧字体や簡体字、ハングルの整備と同様に、ギリシア語の変遷は「言語=政治」という命題を如実に示しています。思想教育や国民統合の手段として、政権にとって都合の良い言語形態が選択・運用されてきた歴史があるのです。
なお、古典ギリシア語は聖書言語としても根強い人気を誇ります。新約聖書は「コイネ(κοινή, Koine)」と呼ばれる共通語的な方言で記されており、宗教や学術の領域において、今日もなお研究対象となっています。
ἀγάπη → 無償の愛(agape, 神学的中心概念)
χάρις → 神の恵み・恩寵(charis, 救済の根拠)
πίστις → 信仰・信頼(pistis, 人間の応答)
Ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ λόγος
「初めに言(ことば)があった(ヨハネによる福音書 1:1)」
καὶ ὁ λόγος ἦν πρὸς τὸν θεόν
「そして言は神と共にあった」
本稿では、こうした歴史的背景を踏まえつつ、現代ギリシア語の構造と機能について考察していきたいと思います。