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イスラム教の勢いの強いエジプトでは、約1割がコプト派キリスト教徒という。
キリスト教は5世紀ごろ、ローマ、コンスタンチノープル、アンティオキア、エルサレム、アレクサンドリアの5つの総本山があり、ローマ総本山はカトリックに、コンスタンチノープル総本山は正教会に、アレクサンドリア派はエチオピア正教、コプト教として発展したという。ロシア正教の教区は広く、総主教はキリル1世。日本正教会の首座主教はダニイル王代郁夫主教という。アレクサンドリア総主教はシェヌーダ3世総主教、エチオピア総主教はアビューン・パウロ総主教という。
イスラム諸国の国旗にある白色はウマイヤ朝、黒色はアッバース朝(750-1258)、緑色はファーティマ朝(909-1171)によるという。
コプト社会では、イスラム教徒による弾圧に対する逸話が数多くあるという。そのひとつが「信仰は山をも動かす」という聖句に基づく奇跡で、ムカッタム山が舞台となっている。時代は11世紀ファーティマ朝の時代で、カリフは信者に信仰で山を動かしてみろ、さもなくばイスラム教に改宗しろと迫った。現在でも、イスラム教への改宗はできても、コプト教に改宗することは非常に困難という。
コプト教のアブラハム法王は3日間の余裕をと願い出てかなえられ、教区全体で断食して祈ったという。ついに宣託が下って、法王は市場に指定された人物を探しにいく。目的の人物は、背の低い、片目のつぶれた、水かめをかかえた男である。男は「女性を見て誘惑されたので、目をつぶした」という。女性を黒衣でくるむより、男性の目をつぶしてほしいものである。
市場で目的の人物を探し出すと法王はムカッタム山で祈りをささげてくれるよう頼み込む。男は承諾し、ムカッタム山で祈りをささげると、山は動いたという。地震の多い土地であったという記述もある。
ワタニ(وطنى watani)とはエジプトの新聞名。アル・カラーザ(al-keraza)はエジプトの雑誌名。
ガリ国連元事務総長は、コプト教徒という。